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よく、間違われるのが、松平長七郎です。講談・小説中の人物駿河大納言・徳川忠長の長男という設定紀伊徳川家の庇護のもとに江戸・大坂に住み、和歌山で没したとされる。架空の人物で、映画とかありますね。 長七は、先祖の屋号の名前です。その昔、ご先祖様は、石屋川のほとりで、お酒の樽を作っていました。およそ、江戸中期以降から阪神大空襲でアメリカ空軍に焼き討ちに合うまでです。司馬遼太郎の小説に、高田屋嘉平に物語、『菜の花の沖」という長編小説をよんでいたときです。そのなかで、日本酒の灘のきい一本がいかに、江戸で珍重され、その当時の流通に役立ったかかいてあります。 樽と桶は違います。樽が優れていたのには、ふたがしっかりとし、気密性がたかいこと、吉野すぎと竹のみを使用し釘などを使わないこと、 お酒の成分と杉の成分が化学反応し、お酒がすきっりとしたあじになることなどです。この樽が発明されたのは、御影あたりらしいですが昔は沢山の樽屋が存在していたらしいです。杉の木にカンナをかけるとき特殊な丸カンナをかけ精密に仕上げるのですが、このカンナなどの製品こそが、樽を生み出す原動力になったようです。 この樽を精度の高さは、江戸の町で再利用されいろんな入れ物に転用されたようです。お酒を安く売り、この樽を転売することで財をなした方の、絵巻がのこっています。 明治10年生まれのソソ母の話であると、その樽屋をする前は油屋であったそうです。六甲山麓には水車小屋が沢山あり菜種油をひいいていたようです。 その時代その時代に歴史があり、時代を生き抜くために生業を変え、もしくは分家独立し力強くいきていったようです。 慶長七年、その年は豊臣の時代ですが、間の字を取れば、長七となります。慶長七年は神戸に大地震があった、崩壊する伏見城で秀吉が死にかけて謹慎中の加藤清正がすぐに駆けつけて謹慎を許してもらったというあの地震です。有馬高槻断層で、今回の阪神大震災とは違いますが、阪神間に大地震が起きたことは間違いないです、地震によりなにかだい変化になり、その後生まれた子供の名前にメッセージをこめたものなのかともおもいます。 まったくの、空想の域ですが、今回お店を開業するにあたって、ふと、妻から長七食堂にしようと提案されたとき。 長い歴史を思わず感じたのです。 会社員であったもので自分は西日本を中心に異動を重ねていました。震災の前に、遠隔地の異動になるかもしれないと予告されていたのですが、震災で話はつぶれ、震災で半年も閉鎖していてその店舗の建て直しのために神戸に帰ったきたのです。その店舗ではかなりの苦労をしたのですが、そこで今の妻と知り合い、とどのつまり、そこの店舗の人員の問題も解決できて、念願の独立開業にちかずいたのです。 会社を辞めるきっかけも、妻が働いていた弁当屋の後をやってくれないか、という話。 で、そこのいったのですが、きちんとした契約ができず、又貸しの又貸しの状態でした。 いろんなことがあり、FCも又貸しも止め、再び一からやり直す借金をし、長七食堂が誕生しました。 回り道をしているようで、人の倍以上ドンくさい自分ですが、先祖様の力がここまで導いてくれたような感じがします。 日本の古来からの歴史、伝統、習慣、そういう精神が失われつつある今。危機感を感じるのですが、自分たちが今こうして生きて入れるのは先祖の人々、戦国時代や江戸身分社会、幕末の動乱の時代に、力強く生きてこられたからだと思います。 |
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